植松努
2020年09月03日
大人の役目
学問とは、いい学校に入ったり、いい会社に入ったりするためのものでしょうか?
とんでもない間違いです。
学問とは、社会の問題を解決するために、人類が命をかけて積み重ねた記録です。
教育とは、失敗の避けかたや、責任の避けかたを、教えるためのものでしょうか?
とんでもない間違いです。
教育とは、死に至らない失敗を経験させて、失敗の乗り越え方を教えるためのものです。
学校とは、理不尽のあきらめ方を教えるための場所でしょうか?
とんでもない間違いです。
学校とは、理不尽の解決の仕方を教えるための場所です。
大人が昭和の処世術なんか教えるから、
経験を避ける、自信を持てない、問題を解決できない人が沢山つくられてしまいました。
でも大丈夫。
今日も社会に生まれ出てくる子ども達は、あきらめ方を知らないで産まれてきます。
そんな子ども達に、あきらめ方を教えなければいいだけです。
夢と希望を奪わなければいいだけです。
たったそれだけで、その子達が、20年後に世界を救う力になります。
植松電機に修学旅行の子達が戻ってきました。
みんな輝いています。これからすごいことをする人達です。
でも、そんな子達の、輝きを奪おうとしている人達がいます。
「いまより輝こうとする子ども達の光を奪い去ることはゆるさん!」
僕の心の中の、北斗の拳のシュウが慟哭します。
大人の役目は、
子ども達の夢と希望を奪わないで、あきらめ方を教えないことです。
大人の役目
maruhashikouta at 15:18|Permalink│Comments(0)│
2020年08月05日
残念過ぎることにならないように
教育は、時代や社会に合わせて変化していかなければいけません。
なぜなら、子ども達は、最終的には社会で働くからです。
ですから、社会のニーズに合わせた教育である必要があります。
どころか、本当は、子ども達が社会に出るのは10年後なので、
10年先の社会に適合した教育をしなければいけません。
少し前までは、社会の変化がゆっくりでした。
だけど、いまでは、10年たったら社会は大きく変わってしまいます。
しかし、教育の変化は、10年から15年かかってしまいます。
おそらく、子ども達が生きる未来の社会と、教育の想定する社会のギャップは、
下手したら、20年くらいもあるかもしれないのです。
このギャップが、子ども達が社会に出るときに子ども達を苦しめます。
ものすごく頑張って、いろんなことを我慢して、大人の言うとおりに打ち込んできたのに、
それが社会で通用しない・・・ということを知った子達の悲しさ。
日本は、「若者の自殺率が世界一」の国です。
自殺の理由の多くを占めるのが、「進路」ですから、「教育」の影響は大きいです。
大人は、子どもの笑顔のために。
子どもは、大人の笑顔のために。
よかれと思ってがんばってるのに、その目指す目標がずれていたばっかりに、
悲しい結果になってしまうなんて、残念すぎます。
子ども達の未来は、大人が10年後を見ることができるかどうかにかかっています。
そのためには、情報が必要です。
そういう情報は、TVにも新聞にもネットにもあるんだけど、
莫大な量の「どうでもいい情報」に埋め尽くされて見えてきません。
maruhashikouta at 23:07|Permalink│Comments(0)│
2020年07月21日
身のほどなんて、わかるわけ無いだろ
植松さん、激しく同意です。
植松カテゴリー作ってしまいました。
抜粋しようと思ったら
ほとんど全文↓
現在の点数が学力、ではない。
学校の先生は学校しか知らない人が多いです
身のほどなんて、わかるわけ無いだろ。どうやって測定するんだ?
植松カテゴリー作ってしまいました。
抜粋しようと思ったら
ほとんど全文↓
人間は成長します。学んでいる限りガンガン能力は伸びます。
ですから、どんな年齢になっても、「身のほど」なんてわかりません。
唯一、わかる人がいるならば、それは、「学ぶこと」をやめた人です。
そういう人は、成長しなくなりますから、自分の身のほどを知ります。
残念ながら、「学ぶことをやめた人」は、意外とたくさんいます。
基本的に、「学ぶ=教えられたことをおぼえる」と思ったあたりで、
「学ぶ」は停止してしまいます。
本当の「学ぶ」は、主体的な探究です。知りたがることです。
現在の点数が学力、ではない。
学力とは、学ぶ力です。
それは、これからの可能性を示すものです。
間違っても、現在や過去の点数ではありません。
ですから、いまの成績などで、自分の将来をあきらめる必要はありません。
学校の先生は学校しか知らない人が多いです
学校では、さんざん、夢を持て!というくせに、
許される夢は、「できそうな夢」に限定されます。
しかも、「できそうかどうか」を判断するのは先生や大人です。
そして、先生や大人が知らない領分については、全くの憶測で判断されます。
せめて、その道の人の話を聞くチャンスぐらい作ってよ。
身のほどを知れ、と言われたら、知ってます。と答えてください。
身長を答えておけばいいと思います。
高望みするな、と言われたら、「ああ、この人は、学ぶことをやめた人なんだ」と思ってあげてください。「哀」に満ちた目で見てあげてください。
(「哀」に満ちた目については、北斗の拳を読破する必要があります。)
ようするに、こういうことを言う人の話は、「はいはい」って聞き流してください。
そして、「自分のやりたいことをやってる人」を探して、メールでもいいから、ダイレクトに質問してください。
もちろん、頑張ってる人ほど忙しいから、なかなか返事は帰ってこないので、色んな人にコンタクトをとるのがいいです。
そうしたら、「すべきこと」の情報が得られます。
もちろん、それは、生きてる人でなくてもかまわないです。
自分がやりたいことに関わる分野の人の伝記を読むだけでも、相当な量の「すべきこと」の情報が得られます。
ていうか、それが「学ぶ」です。
「おしえられたことをおぼえる」から、「学ぶ」に切り替えたとき、
受動的な人生が、能動的な人生に変わります。
自分の人生は、自分のもんだ!
身のほどなんて、わかるわけ無いだろ。どうやって測定するんだ?
maruhashikouta at 20:00|Permalink│Comments(0)│