植松努

2020年08月05日

残念過ぎることにならないように

教育は、時代や社会に合わせて変化していかなければいけません。
なぜなら、子ども達は、最終的には社会で働くからです。
ですから、社会のニーズに合わせた教育である必要があります。
どころか、本当は、子ども達が社会に出るのは10年後なので、
10年先の社会に適合した教育をしなければいけません。
少し前までは、社会の変化がゆっくりでした。

だけど、いまでは、10年たったら社会は大きく変わってしまいます。
しかし、教育の変化は、10年から15年かかってしまいます。
おそらく、子ども達が生きる未来の社会と、教育の想定する社会のギャップは、

下手したら、20年くらいもあるかもしれないのです。
このギャップが、子ども達が社会に出るときに子ども達を苦しめます。

ものすごく頑張って、いろんなことを我慢して、大人の言うとおりに打ち込んできたのに、
それが社会で通用しない・・・ということを知った子達の悲しさ。
日本は、「若者の自殺率が世界一」の国です。
自殺の理由の多くを占めるのが、「進路」ですから、「教育」の影響は大きいです。
大人は、子どもの笑顔のために。
子どもは、大人の笑顔のために。

よかれと思ってがんばってるのに、その目指す目標がずれていたばっかりに、

悲しい結果になってしまうなんて、残念すぎます。


子ども達の未来は、大人が10年後を見ることができるかどうかにかかっています。
そのためには、情報が必要です。

そういう情報は、TVにも新聞にもネットにもあるんだけど、
莫大な量の「どうでもいい情報」に埋め尽くされて見えてきません。

maruhashikouta at 23:07|PermalinkComments(0)

2020年07月21日

身のほどなんて、わかるわけ無いだろ

植松さん、激しく同意です。
植松カテゴリー作ってしまいました。
抜粋しようと思ったら
ほとんど全文↓

人間は成長します。学んでいる限りガンガン能力は伸びます。
ですから、どんな年齢になっても、「身のほど」なんてわかりません。
唯一、わかる人がいるならば、それは、「学ぶこと」をやめた人です。

そういう人は、成長しなくなりますから、自分の身のほどを知ります。




残念ながら、「学ぶことをやめた人」は、意外とたくさんいます。
基本的に、「学ぶ=教えられたことをおぼえる」と思ったあたりで、

「学ぶ」は停止してしまいます。

本当の「学ぶ」は、主体的な探究です。知りたがることです。




現在の点数が学力、ではない。
学力とは、学ぶ力です。
それは、これからの可能性を示すものです。
間違っても、現在や過去の点数ではありません。

ですから、いまの成績などで、自分の将来をあきらめる必要はありません。



学校の先生は学校しか知らない人が多いです
学校では、さんざん、夢を持て!というくせに、
許される夢は、「できそうな夢」に限定されます。
しかも、「できそうかどうか」を判断するのは先生や大人です。

そして、先生や大人が知らない領分については、全くの憶測で判断されます。
せめて、その道の人の話を聞くチャンスぐらい作ってよ。




身のほどを知れ、と言われたら、知ってます。と答えてください。

身長を答えておけばいいと思います。



高望みするな、と言われたら、「ああ、この人は、学ぶことをやめた人なんだ」と思ってあげてください。「哀」に満ちた目で見てあげてください。

(「哀」に満ちた目については、北斗の拳を読破する必要があります。)

ようするに、こういうことを言う人の話は、「はいはい」って聞き流してください。

そして、「自分のやりたいことをやってる人」を探して、メールでもいいから、ダイレクトに質問してください。
もちろん、頑張ってる人ほど忙しいから、なかなか返事は帰ってこないので、色んな人にコンタクトをとるのがいいです。

そうしたら、「すべきこと」の情報が得られます。
もちろん、それは、生きてる人でなくてもかまわないです。

自分がやりたいことに関わる分野の人の伝記を読むだけでも、相当な量の「すべきこと」の情報が得られます。
ていうか、それが「学ぶ」です。

「おしえられたことをおぼえる」から、「学ぶ」に切り替えたとき、

受動的な人生が、能動的な人生に変わります。


自分の人生は、自分のもんだ!



身のほどなんて、わかるわけ無いだろ。どうやって測定するんだ?
maruhashikouta at 20:00|PermalinkComments(0)
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