2020年06月23日
大人の顔色
日曜日の紅白戦(ミニゲーム大会)
前日の交流試合よりも、
声が出ていた子がいて
盛り上がっていましたね。
誰とやっても、どこでやっても
「仲良くケンカしながらサッカーしましょう」
大人にやらされてちゃ楽しくないでしょ♪
前日の交流試合よりも、
声が出ていた子がいて
盛り上がっていましたね。
誰とやっても、どこでやっても
「仲良くケンカしながらサッカーしましょう」
大人にやらされてちゃ楽しくないでしょ♪
《大人の顔色をうかがう子どもたち》
私は、子どもたちの自主性を開発するために、
レフェリーなしのゲームをときどきやらせます。
子どもたちに、自分たちで議論し、
早く言えば口げんかを
自分たちで解決する場を与えるわけです。
日本では、
試合ともなればレフェリーや監督がついていて、
大人が管理し指揮をとります。
そして、そういう立場を
たとえ子ども相手であっても喜び、
「いっぱしの監督さん」になったつもりの人が
少年野球などではたまに見受けられます。
管理されすぎると、
子どもたちはすべての基準を
そこで監督している
大人の顔色に合わせるようになり、
善悪の判断も、
どこまで頑張ればいいのかも、
いちいち大人の顔色を見ながら
決めることになります。
それでは、スポーツという、
元来は豊富な社会経験であるべきはずの行為が、
授業の延長、
家庭教育の延長になってしまいます。
それでは意味がありません。
だからサッカー教室では、
大人は口を出すなと言います。
子ども同士で利害が対立し、けんかをすることで、
ゲームの意義が高まるのだと説得します。
それを促進するために、
「今日はレフェリーなしで、
仲良くけんかしながらサッカーをやろう」と
子どもたちに言います。
「ルールを尊重しよう。でもけんかは負けるな。
にらみ合いだけじゃ引き分けだ。
相手を言い負かさなきゃだめだ」と。
最後まで、自分の子どもの靴の紐がどうの、
パンツが半分さがってると、横から口を出して、
子どもに声を飛ばす親がどこにでもいるんです。
私はマイクを持って
「すみませんが、この子はこう見えて、
まだまだ将来があるんです。
マネージャー(付人)は、
一人前になってからつけてください。
二十年早いんじゃないですか」と、
はっきり言います。
お母さんは、まるで
悪いことでもしたみたいに恐縮しています。
〜セルジオ越後の「子育つ論」 PHP文庫